薩摩藩は、鹿児島の鶴丸城を本城として、各地に100以上の外城(とじょう)を作りました。外城とは現在の市町村のようなもので、その外城には郷士(半農半士)の住宅と陣地を兼ねた武家屋敷集落がたくさんあり、「麓」と呼ばれていました。出水外城は肥後との国境に位置し防衛上重要な地域だったため、元々麓はたくさんありましたが、1599年頃から(関ヶ原の前年)30年の歳月をかけて新たに薩摩藩最大(60ha)150軒の武家屋敷群が造られ、藩内から優秀な武士を集て住まわせ国の防衛にあたらせました。平7年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、令和元年には日本遺産にも認定されました。400年前の街なみが残る日本最大級の出水麓武家屋敷群においで下さい。
Edo-period Satsuma Domain had set up so-called “outer towns” throughout the governing territory. About a handred of these were then called “fumoto”. Izumi Fumoto is said to have been the very first and the largest one.